福祉職の給料のリアルと、なぜ私が副業を始めたのか

この記事は、福祉の仕事をしてきた私が、自分の給料のリアルと、なぜ副業を始めることにしたのかを、正直に書いたものです。

「福祉職は薄給だ」とよく言われます。私自身の経験からも、否定はできません。ただ、これは誰かを責めたい話でも、不満をぶちまけたい話でもありません。一人の会社員が、自分の生活を見つめ直して、もう一歩だけ動いてみた、という話です。

数字の話も少し出てきますが、お金の増やし方を指南するものではありません。あくまで、私が感じてきたことの記録として読んでもらえたらと思います。

福祉の仕事を選んだときのこと

私は社会福祉士と精神保健福祉士の資格を持っていて、就労移行支援の現場で10年働いてきました。この仕事を選んだのは、お金のためではありませんでした。

誰かの役に立ちたい。困っている人の力になれる仕事がしたい。若い頃の私が抱いていたのは、そういう素朴な気持ちでした。実際にこの仕事には、お金には換えられないやりがいがあります。今でもそれは本当です。

ただ、当時の私は、自分が将来どれくらいの収入を得て、どんな生活をするのか、あまり具体的に想像していませんでした。やりがいさえあれば大丈夫だと、どこかで思っていた気がします。

若さというのは、そういうところがあるのかもしれません。目の前のやりがいに夢中で、十年後二十年後の生活までは、うまく想像が及びませんでした。今になって、当時の自分にもう少しお金の話もしておけばよかったな、と思うことはあります。

手取りのリアルと向き合った日

現実が見えてきたのは、結婚して、子どもが生まれて、家計を真剣に考えるようになってからでした。私の手取りは、月28万円ほど。決して怠けているわけではなく、むしろ真面目に働いてきたつもりです。

ここから、住宅ローン、食費、光熱費、子どもにかかるお金が出ていきます。贅沢をしているわけではないのに、月末になると口座の残りを見て、小さく息をつく。そんな月が、何度もありました。

特別に何かを失敗したわけではありません。ただ普通に働いて、普通に暮らしているだけ。それなのに、なかなか余裕が生まれない。この「真面目にやっているのに、という感覚」は、同じような立場の人になら、少し分かってもらえるかもしれません。

昇給がないわけではありません。でも、その上がり幅はゆるやかで、物価が上がればすぐに飲み込まれてしまう。「この延長線をずっと進んでいって、本当に大丈夫だろうか」。家計簿を眺めながら、そう考え込む夜が増えていきました。

福祉の仕事に誇りはあります。でも、誇りだけでは家計の数字は変わらない。その当たり前の事実と、ちゃんと向き合わなければいけないと感じたのが、この頃でした。

お金の話をすると、なんだか志が低いように思われるのではないか。福祉の世界には、どこかそういう空気もあります。でも、家族を養い、生活を守るのは、決して恥ずかしいことではない。私はそう考えるようになりました。

やりがいと生活のあいだで揺れた

正直に言うと、一時期は気持ちが揺れました。もっと給料の高い業界に移ったほうがいいんじゃないか、と考えたこともあります。

でも、いざ転職を想像すると、なかなか踏み切れませんでした。この仕事が好きだという気持ちもあったし、10年かけて積み上げてきたものを手放すのも怖かった。何より、目の前の利用者さんとの関わりを、簡単に切り離せるものとは思えませんでした。

やりがいを取るか、収入を取るか。そんなふうに二択で考えていた時期は、正直しんどかったです。どちらかを選べば、どちらかを諦めなければならない気がしていました。

今振り返ると、その二択の発想自体が、自分の視野を狭くしていたのだと思います。世の中には、白か黒かでは割り切れないことのほうが、ずっと多い。当時の私は、そこにまだ気づけていませんでした。

でも、あるとき、ふと思ったのです。これは、どちらかを選ぶ話じゃないのかもしれない、と。今の仕事を続けながら、その外側で、もう一つ小さな収入の柱を持てないだろうか、と。

「会社の外に小さな柱を」と思った理由

副業を考え始めた一番の理由は、お金そのものよりも、心細さでした。収入を一つの会社だけに乗せている状態が、私にはどうしても不安だったのです。

もし体を壊して働けなくなったら。もし会社や業界に何かあったら。支援の仕事をしているからこそ、働けなくなることの大変さを身近に知っていて、よけいにその想像が頭をよぎりました。

一本の柱だけで家族を支えるのは、綱渡りのように感じられました。だったら、細くてもいいから、もう一本、自分の手で柱を立ててみたい。そう思ったのが、副業を始める直接のきっかけでした。

それは「一発当てて会社を辞める」というような、派手な話ではありません。むしろその逆で、今の生活を守るための、保険のような気持ちに近かったです。

だから、最初から大きな目標を掲げたわけではありません。月に何万円という具体的な数字よりも、「会社以外にも自分の足場がある」という感覚そのものが、私にはほしかったのだと思います。

副業を始めても、すぐには報われなかった

そうして始めた副業ですが、現実はそんなに甘くありませんでした。最初の3年は、収入がほぼ0円。やってもやっても、何も返ってこない時期が続きました。

給料の不安を減らすために始めたのに、成果が出なくて、別の焦りが増える。会社の仕事を終えて、家族が寝たあとに机に向かっても、結果が見えない。「これ、意味あるのかな」と思った夜は、数えきれません。

正直、何度も心が折れかけました。会社の仕事だけでも疲れているのに、その上で時間を削っている。それなのに何も返ってこない。妻にも、子どもにも、少し申し訳ないような気持ちが、いつもどこかにありました。

それでも、完全にやめはしませんでした。大きく稼ごうとしていなかったぶん、ゼロでも続けられたのだと思います。今日できる小さなことを、できる日にだけやる。それくらいのゆるさで、細く長く続けました。

副業を始めたことで、給料がすぐに増えたわけではありません。でも、「自分でも何かやっている」という感覚が、不安でいっぱいだった気持ちを、少しだけ軽くしてくれました。

お金の不安と、どう折り合いをつけているか

今も、お金の不安が完全に消えたわけではありません。手取り28万円という数字も、住宅ローンも、変わらずそこにあります。

ただ、昔と違うのは、不安を「ただ抱える」だけでなく、「その横で少し動く」ようになったことです。家計簿をつけて支出を見直す。コツコツ貯金する。細々とでも副業を続ける。一つひとつは地味ですが、何もしないよりは、ずっと気持ちが落ち着きます。

私がやってきたのは、特別なことではありません。誰かを出し抜くような方法でもありません。普通の会社員が、自分にできる範囲で、生活を少しずつ整えてきただけです。

派手さはありません。でも、地味なことを地道に続けるしかない、というのが、私の正直な実感です。一度にすべては変えられない。けれど、少しずつなら変えていける。そう思えるようになっただけでも、私にとっては大きな前進でした。

お金との付き合い方に、たぶん正解はありません。でも、不安だからこそ目を背けずに向き合う、というのが、私なりにたどり着いた一つの答えでした。

それでも福祉の仕事を続けている理由

ここまで給料の話を書いてきましたが、最後にひとつだけ。私は今も、福祉の仕事を続けています。

給料は高くありません。それでも、この仕事でしか得られないものが、確かにあります。誰かの役に立てたと感じる瞬間や、現場でしか学べないこと。それは、副業の収入とはまた別の、私にとって大切な財産です。

お金で測れるものと、測れないもの。その両方を、欲張りかもしれませんが、私はどちらも大事にしたいと思っています。片方のために、もう片方をまるごと諦めたくはなかった。それが、副業という選択につながりました。

副業を始めたのは、福祉の仕事を嫌になったからではありません。むしろ逆で、この仕事を無理なく続けていくために、生活の土台を少しでも安定させたかったからです。

もし今、好きな仕事の給料に悩んでいる人がいたら、伝えたいのはこれです。好きな仕事を諦める必要も、お金の不安に蓋をする必要もありません。今の仕事を続けながら、その横で小さく動いてみる。そういう道も、たしかにあります。私も、まだその途中です。

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